学習のポイントと感想

「シルバーバーチ読書会」

2018.10.13 / 14 

学習内容――スピリチュアリズムの思想体系2「摂理観」(2)

今回は、いくつもの台風が過ぎた後の読書会でした。何回もやってくる台風や地震に、真剣に災害対策が必要だと感じたという言葉が皆の第一声でした。
今回は摂理観の2回目でした。「摂理の神」という内容は、神の本当の姿を理解する上では非常に重要です。参加者も摂理の神を知ることで、神の存在がより身近なものとなってきたと感じています。取り組み方も皆真剣そのものでした。

●神が造られたさまざまな摂理(法則)

・神の造られた摂理(法則)には、さまざまな次元のものがある

(例:人間を存在させるさまざまな法則)

スピリチュアリズムとは スピリチュアリズムの思想[Ⅱ]
2.神の摂理(法則)について (4)神の摂理(法則)による人間の創造と支配 ⇒

・神の被造物・被造世界では、さまざまな摂理が絡み合って全体を支配している
・大枠となる一つの大きな摂理の内側に別の摂理があり、全体として大きな摂理を形成している

●「摂理の神」の信仰的意味とは――神に対する正しい認識と、神との正しい関係・信仰 ⇒

参加者の感想

今月は神の摂理は一つではなく、無数の法則があり、一つ一つにも低次元から高次元まであり、さらにそれぞれの法則が複雑に絡み合い調和していて、地上人からは一つに見えるということを学びました。先月、神は万物を創造するにあたり、まず摂理をつくられ、その摂理を通して霊界・宇宙・生命を創造され、そしてその摂理を通して創造物を支配・維持していることを学びました。そしてその摂理は永遠に変える必要がなく、過去から永遠の未来に至るまで、ありとあらゆる事態に対応できるものであることを考えると、そうした「神の創造された摂理」について、今地上に生きている間に知ることができたことに改めて大きな感動と感謝の思いがあふれてきました。この重大な神の摂理について知らないうちは、摂理に一致した生き方はできないこと、そしてそれは、摂理は神が私たち人間一人一人の幸福を願って想像されたことが分からない限り、摂理に一致しようなどと思わないからだという言葉がとても印象に残りました。まだ地上の大半の人は神の摂理について何も知りません。そうした中で真っ先に真理に導かれ、この道一筋に地上人生を捧げ尽くしたいと願って生きられる私たちは本当に幸福な地上人生を歩ませていただいています。そうした恩恵に対して最大限の責任を果たしていきたい、霊界の道具としてもっともっと使っていただけるよう、摂理に沿った歩みをしていこうと新たな決意ができた学習会でした。今月もありがとうございました。(40代女性)

本日の読書会では、「摂理とは何か」「正しい信仰とは何か」そして「摂理と祈り」についてをメインに学習しました。「摂理」については、シルバーバーチも様々な観点から述べていますが、要約すれば大霊が定めた自然法則であり、それは宇宙のあらゆる自然法則を包含したものであるということです。何かしら漠然としてとらえどころのない表現ですが、それは既成の宗教では説かれることのなかった教えであり、それを守りさえすれば地上界においても物的・霊的にも幸せをもたらすことができるものです。そして正しい信仰とは、大霊が定めたその摂理に自分の方から近づいて(合わせて)いくことであり、その努力をしてゆけば、調和と幸福が得られることを理解することができました。その意味からも神の摂理を知らなければ、真の信仰とは何かについても知ることができない、つまり調和も幸福も手に入れることは不可能であるということです。私たちスピリチュアリストは、他の多くの人々に先駆けて、それらについて理解することができた幸運な人間です。それ故に今後もその道を誤ることなく「時期の来た人々」に霊的真理を伝えてゆく必要があるということを、今一度しっかりと認識していかなければならないと思います。(60代男性)

今日は神の摂理の存在とその厳格な働きについて学び、おさらいしました。私たちの日常生活の物理現象や生命現象、精神的・霊的側面の働きなどをあらためて見直してみると、どれ一つとして摂理の働きの枠から外れている現象がないことがよく分かります。現在私が抱えているもろもろの問題も、それらの正確な働きのもとで必然的に引き起こされているものであることが、今はありがたく、素直に理解できます。今日、帰宅したら、本日の学びをしっかり踏まえて自らの魂の奥深くを、深く深く見つめ直し、良心の声に従い、勇気をもって具体的な行動に表してまいりたいと思います。(50代女性)

先回の復習からシルバーバーチが示してくれた摂理観を学び、まず「摂理の神」を知ったことの重大さをまた改めて強く感じました。神が造られたさまざまな摂理は、さまざまな次元があることを図示していただき、奥深く壮大なものをシンプルにわかりやすく理解させていただきました。その神の摂理の完璧さ、完全な調和が行き渡っている、そうした中に私たち人間は存在しますが、神の摂理を知らないゆえに、地上には多くの悲劇があり、そうした地上人を神や高級霊たちはどれほど悲しんで見ていらっしゃるのだろうと強く感じました。人間が真の幸福を手にするためには、摂理に支配され、その摂理によって愛されることを知る、知識を知って、神の摂理に人間自らが合わせていかねばなりません。一人でも多くの人に霊的真理を知ってほしいと強く願い、自分自身ももっと深く真理を理解していき、実践へと進めていきたいと思います。今月も高級霊たちの真理を手にした私たちへの強い語りかけを感じることのできた素晴らしい時間をありがとうございました。(30代女性)

今日は神が造られたさまざまな摂理と、「摂理の神」の信仰的とは――神に対する正しい認識と神との正しい関係・信仰について学びました。人間を存在させる法則だけでも霊的法則・精神的法則・サイキック法則・生命法則・物質的法則があり、この法則(摂理)が複雑に絡み合って支配していることは本当にすごいことだと思いました。摂理に一致した生き方をすれば幸福に、摂理に一致しない生き方をすれば不幸になる。神は全ての人間に幸せになってほしい、その思いから摂理が造られた。これまでの地上の宗教は摂理に一致した生き方をしないで、神に願いごとをすれば救われると思って必死に祈って信仰してきた。これでは幸せになることはできない。一刻も早く、この真理を伝えて、全ての人に早く幸せになってほしいと思いました。(50代男性)

摂理は人間が幸せになるようにとの神の配慮であることを今日学びました。私たち人間が自由意志で摂理に沿った歩みを選ぶことで、自らを幸せにしていくことができる。また反対に摂理に反した歩みをすれば苦しみ痛みとなって私たちに間違いを気づかせて教えてくれる、とてもありがたいものだということを知りました。改めて摂理の存在を理解することは、本当の幸せを知ることだと思いました。(50代女性)

本当の平等はこの摂理の法則が分からなければ納得できないと思います。正しい信仰とは、「神の摂理に合わせて努力すること」自力信仰ということを学びました。本当にそうだと思います。霊界の宗教はただ一つ、日常生活を神の摂理に一致した生活にすることただ一つということも学びました。私たちの地上人生での日常生活を摂理に一致するよう、日々努力することだと思います。それが真理を学んだ者には責任があるので、これからも努力し続けていこうと思いました。(60代女性)

今日の講義を学ばせていただき、スピリチュアリストとして正しい信仰生活の重要さを確認させていただきました。日々の生活において、神の摂理に合わせていかない限り、霊的に成長できないし、また摂理を踏まえた上での祈りの大切さを教えられ、摂理をしっかりと理解し、正しい信仰者となれるように、日々努力していこうと決意させられました。(60代女性)

本日は霊的摂理について学びました。我々のレベルでは物質レベルの摂理で判断しがちです。いわゆる世間的常識、すなわち表面的な人工の摂理に傾きがちです。貧乏や病、不幸は敵であり、それを避けることが人生の目的となっています。したがって試練や困難に遭遇すると心配や取り越し苦労、不安をついついしがちです。そのため、物質界の事象にとらわれ、心が動きやすく、なかなか心が安定しません。日常のこのような場面に際して、シルバーバーチが霊訓の中で霊的真理・摂理として語っていることは、往々にして世間の常識から見て真逆のことがあります。どちらの道を選択するかの分岐点に常に立たされます。このような場合、自らの考えよりも永遠不変の摂理(シルバーバーチの教える摂理)の方を選ぶということが、とりもなおさず信仰だと思います。と同時に摂理に合わすという実践的行為になるのだと思います。(60代男性)

引き続き「神は摂理」実に深く、興味深い内容でした。この原則を理解していたら、宗教界の神々に対する理解は根本的に違っていたでしょうし、バイブルに展開された種々の物語をまともに捉えることはなかったでしょう。この誤解が人類の長い悲劇を生んだのだと思いました。(60代男性)

先月のシルバーバーチの神観「摂理の神」(1)をブログでもまとめましたが、とても奥が深く、つかんでもつかんでも手に取ることができなかったように思いました。レジュメだけの内容なら1日、2日で終えることができましたし、実際にブログでは本内容は2日で終わりました。ですが、それだけでは足らない……。読書会で学んだ内容は、レジュメだけでは収まらないものがあり、それをどのように表現してブログに反映させるかに悩んでいる時間がとても長かったです。その辺が以前のブログ内容と違うところでした。イラストを使っているだけではないところで、ああだこうだと迷ったり悩んだりしています。取り掛かりは早いんですが、そんなわけで前よりも「腰を上げる」のがむちゃくちゃ遅くなっています。でも以前「そんなにしょっちゅうブログに上げなくてもいいんじゃない?」と言われたことを「ああ、こういうことか」と思えることがあります。下書きをしては、時間をかけて仕上げていく中で、じっくり自分自身も向き合えるんです。ほんまに難しい内容ですが、今の自分が自分なりにつかめない訳ではない……自分が感じたものを素直に表現し、この現場で得たものを反映できたらと思います。(50代男性)

私たちが生きる中で、摂理として遍在する神に包まれていることがよく理解できました。何をどのように考えて行動に移しても、摂理の働きによって常に霊的成長の道へ押し出されていることを学び、神の大きく深い人間への愛を感じることになりました。より大きな成長に向けて効率よく摂理に合わせた生き方ができればよいのでしょうが……摂理への理解もまだまだ不十分で、反省ばかりです。しかし、どの道を辿っても神に愛されていることを知れたのです。取り越し苦労はしないように万事、身に起こることから摂理を理解し摂理にそった生き方になるよう努力していきたいと思いました。(50代女性)

今日の学習で摂理にも様々な次元があり、重層構造を形成し、その中でも神の分霊を与えられた人間は、全ての摂理が複雑に絡み合って支配されている、その背後には神の愛がある。“摂理の神”を知ることがいかに大切なことであるかを感じることができる内容であり、“摂理”は絶対であり、人間の方が摂理に一致できないから不幸なのだと、またよく分かる学習でした。ですが、信仰とは実践・行為で、どれだけ摂理に一致する努力をしているか……また、自己反省です。ますます具体的な内容に実践の時代を感じます。(50代女性)

私たちの日常生活、一挙手一投足に至るまで全て摂理の内にある。しかもその摂理すべてひっくるめて“永遠の霊的成長の摂理”に従うわけですから、何を心配することがあるでしょう。何をジタバタすることがあるでしょう。何でもかんでも自分の霊的成長の要素になるのですから、喜んで迎えればいいわけ。“自分にとっていいことしか起こらない” (50代男性)


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