学習のポイントと感想

「シルバーバーチ読書会」

2016.11.12/13

スピリチュアリズムの思想体系1〈死生観〉

今回は「死生観」について学習しました。"死"は、太古の昔から人間にとって大きなテーマでした。誰もが決して逃れることのできないものが"死"です。死の前には、金持ちも貧乏人も、権力者も力のない人間もみな平等です。そして皆が死を恐れます。

人はなぜ死を恐れるのでしょうか。死の向こうには何があるのか、死を迎えたら自分はどうなってしまうのだろうか、死んでしまったら愛する人とも会えなくなってしまうのではないか……。そんな不安と恐怖をもたらすのもが死です。死は多くの人にとって不幸であり悲劇です。

そんな死からの救いを人々は宗教に求めてきました。宗教では、死に対してどのような見方をしてきたのでしょうか。多くの宗教では「死後も人間は霊魂として存在する、死後の世界がある」と考えています。そして死後の世界は天国と地獄があり、生前の行いがよければ天国へ、悪ければ地獄へ行くと考えてきました。しかし、そうした死生観は、科学技術が発達し、さまざまな知識を手に入れた現代人には「時代遅れ」「子供だまし」と感じられるようになりました。

伝統的な宗教の説く死生観は、唯物論に立脚した科学技術の発展と並行して徐々に衰退していきました。そして現在の地上人には、「死後の生命や死後の世界などない、人間は死によって無に帰す」と考える人が増えています。しかし現在でも、宗教に関わっている人たちが圧倒的多数であることを考えると、現在の地上は、死後の世界を信じる人と信じない人に2分されているということでしょう。

宗教に携わり、死後の世界を信じている人たちは、死の恐怖から救われているのでしょうか。宗教に携わっている人たちであっても、いざ自分が死に直面すると恐怖を覚えたり、愛する人が亡くなれば嘆き悲しみます。宗教者であっても「死は恐怖・不幸・悲劇」というところからは抜け出せていないのが実情です。

こうした人類の大きなテーマである「死」に画期的な解答をもたらしたのがスピリチュアリズムです。スピリチュアリズムの登場によって死後の世界があるということが"信仰"の問題から"事実"の問題へと変わりました。驚異的な心霊現象を一流の科学者が徹底的に研究し、霊魂説の正当性を証明していったのです。こうした動きの背後に、スピリチュアリズムに携わる高級霊の計画があったのは言うまでもありません。

そして、スピリチュアリズムが地上に登場してから半世紀後、シルバーバーチの霊訓が降ろされることになりました。シルバーバーチの霊訓は、それまでのスピリチュアリズムの死生観をさらにレベルアップさせました。それまでのスピリチュアリズムは地上人の視点から"死"について説いていましたが、シルバーバーチは徹底して「霊的視点」から説いています。霊界人ならではの霊的視野で死についての事実を明らかにしてくれました。シルバーバーチの霊訓の登場によって人類は、これまでに明らかにされてこなかった「死の真実」を知ることになったのです。

◆従来の宗教の死生観>

 ・死は恐怖

 ・死別は悲しみ

◆スピリチュアリズムの死生観

 ・死を恐れる必要はない(安心・救い)

 ・死別を悲しむ必要はない(慰め)

◆シルバーバーチの死生観

 ・死は喜び、希望、ご褒美

 ・死別は祝福すべきこと

参加者の感想

今日はスピリチュアリズムの死生観を学ばせていただきました。この地球にシルバーバーチの教えが広がった時には、亡くなった人を悲しみながら見送るお葬式ではなく、門出を祝うお葬式となることを思うと、まず私自身が地上生活の意義をしっかりと理解しなくてはなりません。そのためにも、とにかく「苦労することを甘受しながら、これからの人生を常に霊的観点で見つめながら、心から喜んで霊界へ行けるように大霊の心と一つになれるよう努力したいと思います。(60代女性)

霊的真理を理解すればするほど、命は自分のものではなく大霊のものであることが分かります。自殺も死刑制度も霊的無知から起こる悲劇ですから、私たちスピリチュアリストは死後の魂の存続を訴え、霊的知識を広めていく義務があると、改めて思いました。(40代女性)

今回はスピリチュアリズムの死生観について深く学びました。私自身もほんの10年ほど前までは、人間は死によって無に帰す、死後の生命や死後の世界などはないという唯物論的な考え方を信じていたがために、死に対する恐怖を強く感じていましたが、シルバーバーチの霊訓に出会えたことで本当に救われる思いがしました。霊的成長のために、利他愛実践のために、霊的真理の伝道に携わることができるようになるために、残りの人生を本当に価値あるものにできる立場にいられることは、ありがたいことです。(50代男性)

シルバーバーチの霊訓を学んできたおかげで、死については、神様が与えてくださった自然の摂理の中の一部としてとらえることができ、死は特別なことではなく一つの過程だと考えます。そのことでさまざまな死に関しての問いが明らかになり、死はありがたいこととして受け入れることができます。そのようにシルバーバーチの霊訓によって数々の事実が明らかになり、それを今理解できるようになったことに感謝し、できる限り多くの人々に浸透されるように努めていきたいと思います。(60代女性)

本日は、スピリチュアリズムの思想体系1の死生観について学びました。特に印象に残ったのが、シルバーバーチより降ろされた死生観が人類史上最高次元の死生観であるというところです。死は喜び、希望、地上人生に対するご褒美である。死別は新しい人生の出発、霊界人生の始まりを祝福すべき時である。改めてシルバーバーチの霊訓は素晴らしいと思いました。多くの人にこの真理を伝えていきたいです。(40代男性)

シルバーバーチの死生観を正しく学ぶことの大切さを痛感しました。間違った知識や慣習(医療・葬式・墓など)を、周りの人たちと調和を保ちながら徐々に真理に沿わせて行きたいと思いました。正しい知識を持つことで、価値観が180度変わり、行動も変わってくると思います。霊的真理の普及の大切さを改めて感じました。(50代男性)

私の母方の大叔母はチューブには繋がれなかったものの、1年間意識が戻りませんでした。母のいとこが看ていたのですが、いつもは苦しそうにしている大叔母が、「家族がくるから」というと安定した状態になったそうです。また、大叔母の孫が苦しんでいるという話をしたら翌日には熱を出したということがあり、母のいとこは医学的には意識はなくとも話をしっかり聞いてくれていたんだねと言っていました。(40代女性)

今回心に残ったのは「生命は大霊のもの」ということ、死の定義は「肉体と霊体を結んでいるシルバーコードが切れるとき」ということ、霊的成長が摂理であるということです。日常のいろいろなことを考えるのに、大きな判断基準になりました。(50代男性)

睡眠中に起きることの真実を知ることができてスッキリしました。夢を覚えていることがしばしばあるのですが、霊界を訪れて行っている記憶の断片が残っているということを思うと、理解ができます。死に関する様々な問題で、自殺・死刑制度・安楽死・延命治療については、本当にシンプルに正しい解釈を知ることができました。また、葬式や墓などの形式的な死者の弔い方が意味のないことだと知って腑に落ちました。私自身、首をかしげながら行ったので納得がいきました。葬儀や墓や供養に桁外れの大金がいるということが、すでに真心で行っていることではないことを物語っていると思えていたので、シルバーバーチの答えが明確ですっきりしました。(50代女性)

死に対して私たちは、意外なほど恐れを持っています。自然死ならば恐れなくても、銃殺される場合には恐れないものでしょうか。霊界があることを信じていても、恐怖が出るように思います。それほど一般の肉体を持った人間にとって肉体の死は、簡単にはうれしいこと・喜ぶべきことと思えないのが現状です。しかし、それこそ超える必要があるということなのでしょう。難しいけれど、努力すべきことなのでしょう。(70代男性)

今回の学習では、これまではっきりわかっていなかった、「安楽死」と「尊厳死」の違いが分かりました。植物状態にある場合でも、カルマの清算が行われている、大きな意味があるということがよく分かりました。(40代女性)

スピリチュアリズムに基づく見方によって、死生観に対するしっかりした考えを学ぶことができました。生命は大霊のものであるということが、とても大切なことだとわかりました。(40代男性)

初めて読書会に参加させてもらい、皆さん熱心な動機で参加されていることが伝わってきました。学習内容の説明は明快で、助かります。今回の死に関して、個人的な体験ですが、こんなことがありました。祖母が産後の肥立ちが悪く、苦しみから逃れるために自殺をしてしまいました。その祖母がある時母に憑依をして話し出したのです。その時語ったところによると、自分は自殺をしてしまったので、あの世で肩身が狭いとか、苦しみがまだ続いているとのことでした。自殺は罪であるという一つの証なのかもしれません。(60代男性)


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